防災と生き方を学ぶ ~1年生「愛のともしび事業」遠藤さんの講話~

 

先週25日(木)に、桜丘中学校と合同で、東日本大震災の時に宮城県南三陸町で副町長を務めておられた遠藤健治さんの講話を、1年生生徒がお聞きする会を開きました。それぞれの学校と遠藤さんのご自宅とをZoomでつないでお話をお聞きしました。1年生の生徒の中には、事前学習で初めて東日本大震災を知り、自分で調べたり家族や親戚に震災発生時の様子をインタビューしたりした生徒もいました。

南三陸町は、およそ38年周期で大きな地震が起きており、これまでも何度も津波被害にあっていました。そのため、地震や津波に対する備えは町としてもされており、事前にハザードマップ等で住民も確認したりしていたそうです。町の防災庁舎も最大でも津波が6、7mだろうと想定して建てられました。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、想定を大きく超えるマグニチュード9.0、最大深度7、南三陸町の震度は6弱の揺れに襲われ、想定を大きく超える10m以上の津波がくるとの情報が防災庁舎に届いたそうです。防災無線で町民に避難を呼びかけていた職員とともに、遠藤さんも防災庁舎の屋上へと避難されましたが、最大16.5mの津波に襲われ、当初屋上に避難した54名の方は、10名だけしか残っていませんでした。遠藤さん自身も、何度も津波に飲み込まれ泥水を飲んで耐えたとおっしゃってみえました。

当時の小中学校の様子も話していただきました。中学校では3月11日は卒業式の前日。卒業式の会場準備をしていた最中に地震が発生したそうです。高台へ避難し、生徒たちは難を逃れたそうです。町の戸倉小学校も数日前に新築の体育館の引き渡しが行われたばかりでした。震災が起きた日から、体育館は避難所として使われました。学校も使えなくなったため、中学校では30km離れた廃校で授業を再開したとのことでした。小学校で卒業式が行われたのは、4月になってから、普段着のままで行い、避難所にいた方々も卒業式に一緒に出られたとのことでした。

遠藤さんは、副町長として震災後も町の復興に尽力されました。生徒たちに、「命だけは守りたいという思いで少しずつ復興に取り組んできた。その中で感じたことは、自分の命は自分で守ることが大切、人のやさしさ、思いやりの心のありがたさ、いろいろな人との出会いと交流が支えになったこと、そして大切なことは、『あの日を忘れない』こと」だと語ってくださいました。

鵜沼中からは、事前に集めた質問のいくつかを教員が代わりにお聞きしました。桜丘中では代表生徒が質問をしました。

生徒たちは、初めて知ることも多くあり、驚いたり食い入るように画面を見つめたりして聞いていました。あきらめずに力強く歩んでこられた遠藤さんのお話から、生徒たちはいろいろなことを感じ取っていました。

遠藤さん、貴重な機会をいただき、ありがとうございました。